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12月11日 百円玉の日

2009年12月11日(金) 08時21分39秒 スタッフブログ
1975(昭和32)年のこの日、それまでの板垣退助の肖像が描かれていた百円札に替って、鳳凰デザインの百円玉が登場しました。
 発効当時の百円玉は銀貨で紙幣と併用されましたが、その後、銀相場の変動により、銅75%、ニッケル25%の合金になりました。



12月10日 世界人権デー

2009年12月10日(木) 08時24分28秒 スタッフブログ

「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」で始まる「世界人権宣言」が、1948(昭和23)年のこの日、パリで行われた第3回国連総会で採択されました。
 それを記念して1950(昭和25)年の国連総会で記念日になりました。

パリ→フランスに関する昔話

あるところに、商人が三人のむすめとくらしていました。
 三人のうちでも、末むすめのベルは、とても美しく、心がやさしいのでひょうばんです。
 ある時、おとうさんが仕事で近くの町ヘ出かけることになると、一ばん上の姉さんがいいました。
「お月さまの色をした服を買ってきて」
 すると、二ばんめの姉さんも、
「お日さまの色をした服を買ってきて」
と、ねだりました。
 でも、ベルは何もいわないので、かわいそうに思ったおとうさんが、何度も聞くと、
「・・・バラの花が、一本ほしいわ」
と、答えました。
 仕事を終えたおとうさんは、姉さんたちの服を買いました。
 でも、バラの花はどこにもありません。
 おまけに帰るとちゅう、道にまよってしまったのです。
 こまっていると、遠くにあかりが見えました。
 近づいてみると、とてもりっぱなお城です。
 けれど、いくらよんでも、お城からは、だれも出てきません。
 ふと見ると、庭にきれいなバラの花が咲いています。
「みごとなバラだ。これを、ベルのおみやげにしよう」
 おとうさんはベルのために、赤いバラをひとえだおりました。
「こらー!」
 そのとたんに、目のまえに、おそろしい野獣の顔をした男があらわれました。
「だいじなバラをぬすんだな、ゆるさんぞ! いいか、おまえのむすめをひとり、ここへつれてこい。さもないと、いのちはないと思え!」
と、いって、野獣の男は、パッとすがたをけしました。
 おとうさんはふるえながら道をさがし、やっとのことで家にたどりつきました。
 おとうさんが、まっさおな顔で野獣の話をすると、ベルはいいました。
「おとうさん、ごめんなさい。わたしがバラをねだったせいです。野獣のところへは、わたしがまいります」
「しかし・・・」
「いいえ、わたしがまいります」
 ベルがいいはるので、おとうさんはなくなく、ベルをお城へつれていきました。
 すると、たちまち野獣が出てきて、
「このむすめはあずかっておく。おまえは帰れ!」
と、おとうさんをおい返しました。
 ベルはこわくて、こわくて、ブルブルと、ふるえていました。
 でも、野獣はやさしい声で、ベルにいいました。
「こわがらなくてもいいよ。この城はあなたの城。食べ物も着る物も、ほしいものはみんな、ひとりでに出てくる。どうぞ、楽しくおくらしなさい」
 野獣は、時どき食事をしにくるだけでした。
 でも、見かけとちがって、いつもやさしい野獣に、ベルはうれしくなりました。
 ある日、野獣は遠くの物を見ることが出来る、ふしぎな鏡をベルにくれました。
 ベルがその鏡で、自分の家の様子を見てみますと、なんと、病気でねているおとうさんのすがたがうつっていたのです。
 おとうさんは、ベルのことがしんぱいで、病気になってしまったのでした。
「おねがい、おとうさんのおみまいに、いかせてください」
「いいよ。・・・でも、かならず帰ってきておくれ」
 ベルが家に帰ると、おとうさんは大よろこびで、すぐに病気がなおってしまいました。
 けれど、姉さんたちにひきとめられて、ベルはなかなかお城へもどれません。
 そんなある晩、今にも死にそうな野獣のゆめをみました。
「たいヘんだわ。はやく帰らなければ」
 夢中で道を走り、やっとお城ヘついた時、野獣はグッタリして、もう、口もきけません。
「ごめんなさい、ごめんなさい。わたしが帰らなかったせいなのね。ほんとうに、ごめんなさい」
 ベルはポロポロと涙をこぼしました。
 そして、その涙が野獣のかおにおちたとたん、野獣のすがたは、りっぱな王子さまにかわったのです。
「ありがとう、ベル。おかげで、魔法がとけました。やさしい人が、ぼくのためにないてくれなければ、魔法はとけなかったのです。・・・ベル、どうか、ぼくと結婚してください」
「はい」
 やがてふたりは結婚して、幸せにくらしました。

 ディズニーで有名な「美女と野獣」の元のお話しです。





12月9日 漱石忌

2009年12月 9日(水) 08時21分46秒 スタッフブログ

東京・神楽坂近くにある「漱石山房」が漱石終焉の地です。
 小さな公園になっており、猫塚なるものもあります。
 1916(大正5)年12月9日、夏目漱石は49歳で永遠の眠りにつきました。

ねこに関する昔話

むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがくらしていました。
 ある日のこと、おじいさんが山の畑で草とりをしていると、草むらに一ぴきの子ねこを見つけました。
「おおっ、かわいそうに。はらをすかせとるようじゃな。どれ、いっしょにうちに帰ろうな」
 山でひろった子ねこを、おじいさんとおばあさんは、まるで自分の子どものように、だいじにだいじにかわいがりました。
 ある日のこと、納屋(なや→ものおき)の中で、なにやらへんな音がするのに気がついたねこが、納屋へはいっていきました。
♪それやれ、みがけやみがけ、ねずみのおたから。
♪つゆのしっけをふきとばせ。
♪それやれ、みがけやみがけ、ねずみのおたから。
♪みがいてみがいて、ピッカピカ。
 納屋のゆかにある小さなあなから、ねずみたちの歌う声が聞こえてきます。
 つぎの日も、ねこは納屋にはいってみました。
 すると、キョロキョロまわりを見まわしているねずみを見つけました。
 ねずみは、ふくろからこぼれた豆をひろおうとしています。
 そのとたん、ねこはねずみにとびかかっていきました。
「ひゃ?っ!」
 おどろいたねずみは、いまにもなきそうな声でいいました。
「おねがいです。どうかわたしを見のがしてください。わたしたちねずみは、ねずみのおたからをみがかなくてはなりません。これはたいへんなしごとなんです。つかれがたまったのか、お母さんが病気でたおれてしまったのです。それで、お母さんにえいようをつけさせようと、豆をさがしに出てきたところです。お母さんが元気になったら、わたしはあなたに食べられに出てきます。それまでどうか待ってください」
「・・・・・・」
 ねこはねずみをはなしてやりました。
「ありがとうございます。やくそくはかならず守りますから」
 子ねずみがあなの中へ帰ってしばらくすると、ねずみたちの前に、豆がバラバラとおちてきました。
 おどろいて顔をあげてみると、なんと、ねこが、一つぶ一つぶ、豆をあなから落としているのです。
子ねずみは、豆をお母さんにわたすと、ねこの前に出ていいました。
「ねこさん、ありがとう。これでお母さんも元気になることでしょう。さあ、やくそくどおり、わたしを食べてください」
 しかしねこは、もっていたのこりの豆を子ねずみの前におくと、そのまま納屋から出ていってしまいました。
「ありがとう。ねこさん」
 ねずみの目から、なみだがポロリとこぼれました。
 それから何日かたった、ある日のこと。
 納屋のほうから、チャリン、チャリンという音がします。
 納屋の戸を開けたおじいさんとおばあさんは、目をまるくしました。
「これは、どうしたことじゃ」
 ゆかのあなの中から、ドンドン、ドンドンと小判が出てくるのです。
 そして、小判のあとから子ねずみ、母ねずみ、そしてほかのねずみたちも出てきました。
 子ねずみが、小さなあたまをペコリと下げると、いいました。
「おかげさまで、お母さんの病気もすっかりよくなりました。ほんとうにありがとうございました。それと、ねずみのおたからを、ぶじにみがき終えることができました。おれいに、すこしではございますが、この小判をお受けとりください」
と、山のようにつみあげた小判を指さしました。
「なんと、このおたからをわしらにくれるんじゃと」
 それは、おじいさんとおばあさんが二人でくらしていくには、じゅうぶんすぎるほどのおたからでした。
 こうして、おじいさんとおばあさんは、いつまでもなに不自由なく、元気にくらすことができました。
 もちろん、ねこといっしょに、ねずみたちもとてもかわいがったそうです。





12月8日 歯ブラシの交換日

2009年12月 8日(火) 08時20分33秒 スタッフブログ

歯ブラシの取り替え時期は1ヶ月に1回が目安といいます。
 毛先が広がらず、まだたまだ使えそうに見えても、1ヵ月ほどの使用でブラシの弾力は弱くなっていて、十分な歯磨きが出来ないそうです。
 そこで毎月8日を歯の日と歯ブラシ交換の日として、1997(平成9)年にサンスターが制定しました。
 日本人の習慣として、年明けに新しい歯ブラシを交換しようと、12月は古い歯ブラシをそのまま使う人が多いようで、特に12月の交換は重要視されています。

(他の記念日)

対米英開戦記念日(太平洋戦争開戦記念日)
 1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6ヶ月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発しました。

「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」
という意味の暗号電報
「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信され、戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、攻撃の成功を告げる「トラトラトラ」という暗号文が打電されました。
 元々は、ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていましたが、最後通牒の文書の作成に時間がかかったため、事実上奇襲攻撃となってしまいました。
 アメリカ軍は「リメンバー・パールハーバー」を戦争遂行の合言葉としました。

レノンズデー
 1980(昭和55)年、ビートルズの中心メンバーだったジョン・レノンがニューヨークの自宅アパート前で熱狂的なファン、マーク・チャプマンにピストルで撃たれて死亡しました。





12月7日 クリスマスツリーの日

2009年12月 7日(月) 08時15分03秒 スタッフブログ

1886(明治19)年のこの日、横浜で外国人船員のために日本初のクリスマスツリーが飾られました。
 また、日本で初めてクリスマスのお祝いが行われたのは、1875(明治8)年頃、原胤昭(はらたねあき)が設立した原女学校だと言われています

クリスマスが出てくる昔話

ある農家の娘が、楽しいことを空想しながら、牛からしぼったばかりのミルクの入った桶(おけ)を、頭に乗せて運んでいました。
「このミルクを売ったお金で、少なくとも300個の卵が買えるわ。
 そして、どんなに悪くても、卵からは200羽のヒナが生まれるわ。
 そして、そのうちの50羽は、親鳥に成長するわ。
 そう、ちょうどその頃はクリスマス前で、トリ肉が一番高く売れる時期だわ。
 高く売れると、そのお金で新しいドレスが買えるわね。
 真っ赤なドレス、とってもすてきな真っ赤なドレスよ。
 当然、クツもおそろいでね。
 そして、そのドレスを着てクリスマスパーティーに出かけるのよ。
 すてきなドレスを着た美人のあたしが登場すれば、若い殿方は、みんな、あたしにプロポーズしてくるわ。
 でも、すぐに受けてはダメ。
 こういうのは、じらすのがコツよ。
 あたしは、つれなく頭をツンともたげて、ていねいに、みんなの申し出を断るのよ。
 でも、みんなはあきらめず、あたしのまわりからはなれない。
 そこであたしは、・・・あっ!」
 娘が夢中になって頭をゆらしたとたん、ミルクの入った桶は地面に落ちてしまいました。
 そして、彼女のそうだいな計画は、終わってしまいました。

 この娘のように、まだ手に入れていない事なのに、手に入れたつもりであれこれ空想することを、日本語で、「取らぬ狸の皮算用」と、いいます。





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