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    | 2010年1月22日(金) 08時19分59秒 | スタッフブログ |  
1916(大正5)年のこの日に、日本初の国産飛行船、陸軍の「雄飛号」が所沢?大阪間で実験飛行したことにちなんでいます。雄飛号は、パルセヴァル式飛行船を改修したもので、1915(大正4)年の4月に完成していました。
   
    
    
    | 2010年1月21日(木) 08時20分32秒 | スタッフブログ |  
1937(昭和12)年のこの日、イギリスで料理番組の元祖といわれる番組が始まりました。また、1963(昭和38)年の同じ日に、日本テレビで「3分クッキング」がスタートしました。
 料理に関する昔話 ある所で、ハツカネズミと小鳥とソーセージが、なかよく暮らしていました。「さあ、今日もごはんをつくろうか」
 小鳥の仕事は、森の中へまきを取ってくることです。
 ハツカネズミは、なべに水をくんで火をおこします。
 そしてソーセージは、料理をにたきし、その中を泳いで、味をつけるのが仕事でした。
 あるとき、小鳥がなかまの鳥に、自分たちの生活が、いかにすばらしいかを自慢していました。
 ところが、相手の鳥は、
 「お前は、損な仕事をしているな。ふたりは外へ出ることもないのに、おまえさんは重い荷物を運ばなければいけないじゃないか。おれらな、仕事をかわってもらうけどな」
 こういわれ、小鳥もすっかりその気になってしまいました。
 そして、ごはんをつくろうとするときにいいました。
 「今までわたしは、あなたたちの下働きのようなことをしてきたわけだ。これからは、役割を変えてみようじゃないか」
 ハツカネズミとソーセージは反対しましたが、小鳥は役割を変えると言いはります。
 「しかたない、そこまで言うのなら、一度仕事を変えてみよう」
 そして、くじ引きで役目を変えてみることにしました。
 くじ引きの結果、
 ソーセージがまきを取る仕事。
 ハツカネズミが料理をする仕事。
 小鳥がなべに水をくむ仕事です。
 ところが、事件が起きました。
 まきを取るために森に行ったソーセージが、帰ってこないのです。
 心配した小鳥が森へ飛んでいくと、犬がソーセージを食い殺していました。
 小鳥はしょげかえって、まきを抱えて家に帰りました。
 ハツカネズミもそれを聞いて、悲しみました。
 こうして小鳥が料理の準備をすると、ハツカネズミが料理をはじめた。
 ソーセージと同じように、料理の中を泳いで、味つけをしようとしたのです。
 ところがその途中で料理に引っかかったために、ハツカネズミは死んでしまいました。
 小鳥は食べ物をテーブルに並べようとしたとき、ハツカネズミが見あたらないのに気づきました。
 そこで、名前を呼んで飛び回っていると、羽の風がまきの火を飛び火させて、あたりが火事になってしまいました。
 あわてた小鳥は、水をくみに行こうとしましたが、足が滑って、水の中に落ちてしまい、おぼれ死んでしまいました。
 こうして、誰もいなくなってしまったのです。
 
    
    
    | 2010年1月20日(水) 08時25分21秒 | スタッフブログ |  
1905(明治38)年のこの日、祇園の芸妓お雪が、アメリカ政府の産業にまで強大な影響力を持っていたモルガン商会創始者の甥、ジョージ・モルガンと結婚したことから玉の輿の日といわれています。落籍料は当時のお金で4万円だったといわれています。
 玉の輿に関する昔話 むかし、とても美しくて、やさしい娘がいました。でも、おかあさんが亡くなってしまい、おとうさんが二度めの結婚をしたので、娘には、新しいおかあさんと、ふたりのおねえさんができました。
 ところがこの人たちは、そろいもそろって、たいへんいじわるだったのです。
 新しいおかあさんは、自分のふたりの娘よりもきれいな娘が気に入りません。
 「まあ、あんたは、なんてかわいくない娘でしょう」
 三人は、つらい仕事をみんな、娘に押しつけました。
 寝床は粗末なわらぶとん。
 着る物は、つぎあてだらけ。
 おふろに入ることもゆるしてもらえず、娘のあたまに、いつも、かまどの灰が付いていました。
 そこで三人は、娘をシンデレラ(灰かぶりの意味)とよんだのです。
 かわいそうなシンデレラでしたが、それでも、おねえさんたちの何倍も何倍も、美しいのでした。
 ある日のこと、お城の王子さまが、お嫁さん選びの舞踏会(ぶとうかい)を開くことになり、シンデレラのおねえさんたちにも、招待状がきました。
 おねえさんたちは、大はしゃぎです。
 シンデレラはおねえさんたちのしたくを手伝い、ニッコリ笑って送り出しました。
 それから悲しくなって、シクシクと泣きだしました。
 「わたしも、舞踏会にいきたいわ」
 「泣くのはおよし、シンデレラ」
 「・・・? だれ?」
 シンデレラの目の前に、妖精が現れました。
 「シンデレラ、おまえはいつも、いい子ですね。ごほうびに、舞踏会へ行かせてあげましょう。まず、畑でカボチャを取っておいで」
 妖精が大きなカボチャをくりぬき、つえでたたくと、なんと、金の馬車になったではありませんか。
 「まあ、立派な馬車。すてき」
 「まだまだ、魔法はこれからよ。さてっと、ネズミとりには、ハツカネズミが六匹ね」
 妖精は、つえでハツカネズミにさわりました。
 するとみるみるうちに、りっぱな白馬になりました。
 別のネズミとりには、大きな灰色ネズミが一匹いました。
 「このネズミは・・・」
 妖精がつえでさわると、今度は、おひげがりっばな、太っちょ御者(ぎょしゃ→馬車を操る人)に早変わり。
 「シンデレラ、つぎはトカゲを六匹集めておくれ」
 「はい」
 シンデレラの集めたトカゲは、お供の人になりました。
 「ほらね、これで、舞踏会に行くしたくができましたよ」
 「うれしい。ありがとう。・・・でも、こんなドレスじゃ」
 「うん? そうね、忘れていたわ」
 妖精がつえを一振りすると、みすぼらしい服は、たちまち輝くような美しいドレスに変わりました。
 そして、小さくてすてきな、ガラスのくつもくれました。
 「楽しんでおいで、シンデレラ。でも、わたしの魔法は十二時までしか続かないの。決してそれを忘れないでね」
 「はい、行ってきます」
 お城の大広間にシンデレラが現れると、そのあまりの美しさに、あたりはシーンとしずまりました。
 それに気づいた王子が、シンデレラの前に進み出ました。
 「ぼくと、踊っていただけませんか?」
 シンデレラはダンスがとてもじょうずでした。
 王子はひとときも、シンデレラの手をはなしません。
 ハッと気がつくと、十二時十五分前です。
 「あっ、いけない。・・・おやすみなさい、王子さま」
 シンデレラはていねいにおじぎをすると、急いで出ていきました。
 が、あわてたひょうしに、階段にひっかかって、ガラスのくつがぬげてしまいました。
 でも、取りに戻る時間がありません。
 シンデレラは、待っていた馬車に乗って、急いで家へ帰りました。
 シンデレラが帰った後も、王子は美しいシンデレラを忘れることができません。
 「ぼくは、このガラスのくつの持ち主と結婚する」
 そこでお城の使いが国じゅうを駆け回り、手がかりのガラスのくつが、足にぴったりあう女の人をさがしました。
 使いは、シンデレラの家にもやってきました。
 「足が入れば、王子さまのお嫁さんよ」
 ふたりのおねえさんたちは、足をギュウ、ギュウと、押しこみましたが、どうしても入りません。
 「わたしもはいてみて、いいでしょうか?」
 シンデレラがたずねると、おねえさんたちは大笑いしました。
 「なにをばかなことを、いっているの。あんたなんかに、・・・あっ!」
 シンデレラがはいてみると、くつはピッタリです。
 みんな驚きのあまり、口もきけません。
 「あらあら、わたしの出番ね」
 そこへ、あの時の妖精が現れました。
 妖精がつえを一振りすると、シンデレラはまぶしいほど美しいお姫さまになっていました。
 おかあさんとおねえさんたちは、ヘナヘナと、腰をぬかしてしまいました。
 それからシンデレラは王子と結婚して、いつまでもしあわせに暮らしました。
 
    
    
    | 2010年1月19日(火) 08時19分38秒 | スタッフブログ |  
1946(昭和21)年のこの日、NHKラジオで「のど自慢素人音楽会」が開始され、それを記念してNHKが制定しました。第1回の応募者は900人で予選通過者は30人、実に競争率30倍の超難関でした。
 今でも12倍を超える人気長寿番組です。
 
 
 
    
    
    | 2010年1月18日(月) 08時51分20秒 | スタッフブログ |  
東京都交通局が制定しました。1924(大正13)年のこの日、東京市営の乗合バスが東京駅への2系統で営業を開始しました。
 このバスはT型フォード11人乗りで、「円太郎」の愛称で親しまれ、都営バスカードのデザインにも使われています。
 
 
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