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    | 2009年12月 4日(金) 08時23分49秒 | スタッフブログ |  
1890(明治23)年この日、エミール・ベーリングと北里柴三郎が、血清療法開発につながる破傷風免疫体を発見したことから、記念日とされています。血清療法とは、抗体のある血清を患者に注射し、体内に入った毒素を中和して無力化する治療法です。
 病気に関する昔話 むかしむかし、あるところに、たのきゅうという旅の役者がいました。おかあさんが病気だという手紙がきたので、大急ぎでもどってきました。
 ところが、ある山のふもとまでくると、日が暮れてしまいました。
 でも、たのきゅうは親孝行者だったので、早くおかあさんに会いたいと、そのまま山を登りかけました。
 すると、茶店のおばあさんがたのきゅうに、いいました。
 「およしなさい。この山には、大きなヘビがいるから、夜はあぶないよ」
 でも、たのきゅうは、病気のおかあさんが心配なので、山へ登っていきました。
 そして、峠でひと休みしていると、しらがのおじいさんが出てきていいました。
 「おまえさんは、だれだ?」
 「わしは、たのきゅうというもんじゃ」
 と、たのきゅうは、答えました。
 だけど、おじいさんは「たのきゅう」を「たぬき」と、聞きまちがえました。
 「たぬきか。たぬきなら、化けるのがうまいだろ。さあ、化けてみろ。わしは大ヘビだ。わしも化けているんだ」
 大ヘビと聞いて、たのきゅうはビックリ。
 「さあ、はやく化けてみろ。それとも、化けるのがへたなのか?」
 ブルブルとふるえていた、たのきゅうですが、大ヘビにへたと言われて、役者だましいに火がつきました。
 「まっていろ、いま、人間の女に化けてやる」
 たのきゅうは、にもつの中から取り出した女のかつらと着物を着て、おどって見せました。
 「ほほう、思ったよりじょうずじゃ」
 と、おじいさんは、感心しました。
 そして、
 「ときに、おまえのきらいな物は、なんじゃ?」
 と、聞きました。
 「わしのきらいなのは、お金だ。あんたのきらいな物は、なんだね?」
 たのきゅうも、たずねました。
 「わしのきらいな物は、たばこのヤニと、かきのシブだ。これをからだにつけられたら、しびれてしまう。おまえは、たぬきだからたすけてやるが、このことはけっして、人間にいってはならんぞ。じゃ、今夜はこれで別れよう」
 そういったかと思うと、おじいさんの姿は、見えなくなってしまいました。
 たのきゅうは、ホッとして山をおりました。
 ふもとに着くと、ちょうど夜が明けました。
 たのきゅうは、村の人たちに、タベ、大ヘビから聞いた話をしました。
 「と、いうわけだから、たばこのヤニと、かきのシブを集めて、大ヘビのほら穴に投げ込むといい。そうすれば、大ヘビを退治できて、安心して暮らせるというもんじゃ」
 それを聞いて、村の人たちは大喜びです。
 たばこのヤニと、かきのシブを、できるだけたくさん集めて、大ヘビのほら穴に投げこみました。
 「うひゃーあ、こりゃあ、たまらねえ!」
 大ヘビは死にものぐるいで、となりの山に逃げ出して、なんとか命だけは助かりました。
 「こりゃあ、きっと、あのたぬきのやつが、わしのきらいな物を人間どもにしゃベったにちがいない。おのれ、たぬきめ! どうするか覚えてろ!」
 大ヘビは、かんかんになっておこりました。
 そして、たのきゅうが、いちばんきらいな物は、お金だということを思い出しました。
 そこで、大ヘビは、できるだけたくさんのお金を集めて、たのきゅうの家をさがして歩きました。
 そして、やっと、たのきゅうの家をさがしあてましたが、戸がピッタリしまっていて、中にはいれません。
 「さて、どうやってはいろうか? ・・・うん?」
 そのとき、大ヘビは、屋根にあるけむり出し口を見つけました。
 「それえっ、たぬきめ、思い知れっ!」
 大ヘビは、けむり出し口からお金を投げこんでいきました。
 おかげで、たのきゅうは、大金持ちになり、おかあさんの病気もなおって、しあわせに暮らしましたとさ。
 
    
    
    | 2009年12月 3日(木) 08時47分53秒 | スタッフブログ |  
「よーく見てください。1(ワン)2(ツー)3(スリー)、はい消えました!」という奇術の定番のかけ声から、日本奇術協会が1990(平成2)年に12月3日を記念日としました。
 「ワン・ツー・スリー」という機関誌も発行しています。
 奇術・魔法に関する昔話 むかしむかし、あるところに、ジャックという男の子が、おかあさんと一頭のウシを飼ってくらしていました。ジャックはまいあさ、ウシのミルクをしぼると、町へ売りに行っては、そのお金で暮らしを助けていました。
 けれど、そのウシも年を取ったので、とうとうミルクを出さなくなってしまいました。
 「しかたないわね。このウシを売って、お金にかえましょう」
 おかあさんにたのまれたジャックは、町までウシを引いていくことにしました。
 すると途中で、一人のおじさんがジャックに声をかけてきました。
 「ぼうや、そのウシとこの豆をとりかえっこしないかい? これはね、魔法のまめなんだよ」
 「魔法の豆だって! すごいや。うん、とりかえてもいいよ」
 ジャックは豆を受け取ると、よろこんで家に戻りました。
 その話しをきいたおかあさんは、ジャックをしかりました。
 「まったく、こんな豆つぶとウシを取り替えてくるなんて、あんたはどうかしてるよ」
 「でも、魔法のまめなんだよ」
 「魔法だなんて、うそに決まっているじゃないの!」
 おかあさんは豆を取りあげると、ポイッと、窓の外に捨ててしまいました。
 ところが次の朝、ジャックが目を覚ましてみると、おかあさんの捨てた豆が、てっぺんが見えないほどの大きな木になっていたのです。
 「ほら、やっぱり魔法の豆だったんだ。・・・よし、上へのぼってみよう」
 ジャックは、豆の木をどんどんのぼりました。
 くもをこえても、まだまだつづきます。
 そしてとうとう、ジャックはてっぺんに着きました。
 そこには、大きなお城がありました。
 ジャックがそのお城をたずねてみますと、中から、おかみさんが出てきました。
 「まあ、あなた、どうやってこんなところまできたの? ここはおそろしい人食い大男の家よ。はやくお家に帰りなさい」
 その時、大男の足音が聞こえてきました。
 「しかたがないわ、こっちにいらっしゃい」
 おかみさんは、ジャックを台所のかまどに隠してくれました。
 そこに、大男が帰ってきました。
 ものすごい大男で、手には三頭のウシをぶら下げています。
 「クンクン、おや? 人間のにおいだ。人間の子どものにおいがするぞ」
 「あら、そんなことありませんよ。人間の子どもは、おととい食べたばっかりではありませんか」
 おかみさんに言われて、大男はとなりのへやに行きました。
 大男は金貨の入った袋を2つ取り出すと、中の金貨を数え始めましたが、そのうちにねむってしまいました。
 「あの金貨があれば、おかあさんがよろこぶぞ!」
 ジャックはかまどを出ると、大男の金貨の袋を1つかついで、いそいで家に帰りました。
 金貨の袋を見て、おかあさんは大よろこびです。
 しばらくたって、ジャックはまた、豆の木をのぼって、大男の家にやってきました。
 ジャックがかまどに隠れていますと、大男はおかみさんに言いました。
 「金の卵を産むメンドリをつれてこい」
 おかみさんがメンドリを連れてくると、大男はテーブルの上で金の卵をうませました。
 それをみると、大男はまた、ねむってしまいました。
 「いまだ!」
 ジャックはメンドリを抱えると、そのまま家に帰りました。
 金の卵を産むメンドリのおかげで、ジャックはたちまちお金持ちになりました。
 でも、ジャックはまだ、まんぞくしていません。
 ほかにも宝物があると思って、またまた大男の家にやってきました。
 ジャックがかまどに隠れていますと、大男は金のたてごとを持ってきました。
 そのたてごとは、大男が命令すると、ひとりでに音楽をかなでます。
 大男はそのたてごとの音色を聞きながら、またねむってしまいました。
 「よし、今度はあのたてごとだ!」
 ジャックはたてごとをつかむと、いちもくさんに逃げました。
 その時です。
 「だんな様、どろぼうですよ!」
 おどろいたことに、たてごとが大声でしゃべったのです。
 「なに! こぞう、きさまだな。金貨とメンドリをぬすんだのは! そして今度は、大切なたてごとをぬすむというのか。ゆるさん、食ってやる!」
 大男はジャックを追いかけてきました。
    ジャックは大急ぎで豆の木をおりると、おかあさんに言いました。「はやく、はやく! オノを持ってきて!」
 ジャックはおかあさんからオノを受け取ると、豆の木を切りたおしました。
 「あーーーーっ!」
 豆の木からおりようとしていた大男は、高い空の上から落ちてしまい、そのままどこかへ消えてしまいました。
 それからジャックは、かわいいお嫁さんをもらって、おかあさんと三人で、いつまでも幸せにくらしました。
 
    
    
    | 2009年12月 2日(水) 08時22分28秒 | スタッフブログ |  
1942(昭和17)年のこの日、アメリカのシカゴ大学に設置された実験用小型原子炉で、ウランの核分裂の持続的な連鎖反応に成功。イタリア人のノーベル物理学者エンリコ・フェルミらによって、世界で初めて原子炉が誕生しました。
 最大出力は0.5ワットでした。
 (他の記念日) 日本人宇宙飛行記念日1990(平成2)年、TBSの秋山豊寛記者(当時)を載せたソ連のソユーズTM11号が打ち上げられ、日本人初の宇宙飛行に成功しました。
 安全カミソリの日1901(明治34)年、アメリカ人のジレットが替え刃式の安全カミソリを考案し、特許をとりました。
 日本アルゼンチン修好記念日1898(明治31)年、日本とアルゼンチンとの間に修好通商航海条約が結ばれました。
 奴隷制度廃止国際デー国際デーの一つ。
 1949(昭和24)年、国連総会で「人身売買および他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が採択されました。
 
    
    
    | 2009年12月 1日(火) 08時25分19秒 | スタッフブログ |  
映画産業団体連合会が1956(昭和31)年に制定した記念日です。1896(明治29)年11月25日、神戸で日本初の映画の一般公開が開始され、この会期中のきりのいい日を記念日としました。
 エジソンが発明したキネトスコープを使って映写されました。
 (他の記念日) 鉄の記念日日本鉄鋼連盟が1958(昭和33)年に制定。
 1857(安政4)年、岩手県の釜石高炉(現在の新日鉄釜石製鉄所)が操業を開始し、日本の近代製鉄の幕開けとなりました。
 世界エイズデー世界保健機関(WHO)が1988(昭和63)年に制定。国際デーの一つ。
 エイズ問題への人々の意識を高めることを目的として制定されました。
 冬の省エネ総点検の日資源エネルギー庁が実施。
 1980(昭和55)年10月24日の総合エネルギー対策推進閣僚会議で制定が決定されました。
 毎月1日が「省エネの日」、2月が「省エネ月間」になっています。
 防災用品点検の日防災アドバイザーの山村武彦氏が提唱。
 関東大震災の起きた9月1日のほか、3月1日・6月1日・12月1日の年4回。
   
    
    
    | 2009年11月30日(月) 08時29分34秒 | スタッフブログ |  
1977(昭和52)年のこの日にカメラメーカー小西六写真工業(コニカ)が世界初の自動焦点(オートフォーカス)カメラを販売したことからカメラの日といわれています。そのカメラは「コニカC35AF」で愛称は「ジャスピンコニカ」です。
 2年間で100万台を生産したほどのヒット商品でした。
 
 
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